まいにち

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    2006.12.29 Fri 学ぶということ

    PC作業のかたわらTVをつけっぱなしにしていたら
    夜間中学で国語を教える先生のお話がありました。
    これは片手間に観るもんじゃないとPCを落としてTV前に陣取りガン観。←読み方は「ガンガン」。

    戦後の混乱期など何らかの理由で教育が受けられなかった方々が通う夜間中学校。
    自分の名前をひらがなで書くことができない生徒さんもいたそうです。
    書けない・読めないということは仕事に支障が出るということ。
    仕事上で日報も書かなきゃいけない、指示書を読んで作業を自分で組み立てなければいけない。
    それができないとなると職を失うことにもなり
    命に直結した切実な問題となるとのこと。

    まず先生が教えるのはひらがな。
    書く時にまず丸いものから教えていくそうです。
    あ・め・ぬ、とか。
    そして「たまご」の形を考えてもらうのだそうです。
    たまごの形の上と下をなぞれば、ひらがなの「こ」です。
    横をなぞればひらがなの「い」です。
    左からたまごを下向きにつるりとなぞればひらがなの「ひ」です。
    そんなふうに教えていくのだそうです。

    教材には文学作品を使いますが
    「読んで励まされる作品」を選んで使うそうです。
    今の義務教育で行われているような
    どの作家がなんという作品を書いてそれをいくつ覚えてという
    テストを解くための勉強なんか悠長にやっている余裕はそこにはありません。
    すぐに使える文字、生活漢字。
    そしてその作品を深く読み解くうちに生徒さんたちの心を励ますことができるような学習。

    字が書けない読めないということで
    生徒さんたちはコンプレックスを抱いていることが多いそうです。
    「まわりがみんな自分のことをバカだと思っている」という言い方をすることも多いそうです。
    だからまず言葉づかいから変えていかねばならないと。
    自分を卑下する言い方をするのはなぜか。
    まわりの一人二人がバカだと言ったからとて
    それが「みんなが言っている」ということにはならないよね
    ということを段階を踏んで教え導いて自分で結論が出せるように進めていきます。
    字を教え、コンプレックスを取り除き、学ぶ楽しさを教えるために
    教材は「励まされる作品」を選ぶのだそうです。

    生徒さんたちの目はみなイキイキとしていました。
    義務教育を「義務」として「やらなきゃいけないからやっている」現役の子供たちと違い
    「自分はここで学ばなければならない」という意欲をたたえた目をしていました。
    「学ばせられている」という受け身の教育と
    「学ぼう」とする積極的な思いとがその違いなのでしょうか。
    テストでよい点を取るための学習をさせられている感の強い現役の学生と
    必要だから知識を吸収しようとする人との熱意はどうしても温度差があります。

    かといって私は今の義務教育が必要ないとは思いません。
    確かにテストのための勉強になっている部分は否めませんが
    それが必要になるかならないかはまたあとの話です。
    大切なのは「学ぼうとする意欲」であり
    その意欲は一体どうしたら生まれるかと考えると
    いかな事柄であっても自分の糧にしようと思えば
    無駄なことなぞこの世にはひとつたりとも無いのだということを知ること。
    すべては考え方のベクトルをどう向けるかにかかっているのではないでしょうか。

    「学ぼう」と思えばこの世はすべて学習教材です。
    モノ・人・行動そのすべてから一分一秒すべて学べるのです。
    たとえば買い物ひとつとっても学ぶことは多い。
    消費期限を見て安いものを選びその材料で何が作れるかシュミレートし献立計画を立てる。
    買ったものを袋詰めするときにいかに入れればコンパクトに収まるか考える。
    誰かが置きっぱなしにした買い物カゴをすすんで片付けることもまた学習。
    ただ歩くだけだって学習。
    どのルートをどう歩けば最短で目的地に到達できるか。
    道に置いてあるいろいろな障害物をどう避ければぶつからずに歩けるか。
    途中に立ち寄らねばならない店が数件あるならどう回れば一番効率がいいか。
    狭い道でバッタリしてしまった対面の人に笑顔で道を譲ることもこれまた学習。
    そう考えたらどんな出来事だって学ぶための大切な経験の積み重ね。
    いやだなあカッタルイなあと考えながら通う学校にも
    学ぶための事象はたくさんあるわけで。
    それを「学ぶ」ことに繋げられるかどうか。
    自らの糧にして学び育てていこうと思えるかどうか。
    ひとりひとりの心のありかただと思うのです。

    「学ぶ」ための教材はこの世すべて。
    いかなつらい出来事でもそれすら学ぶ機会にすれば無駄じゃない。
    そんなふうに考えられたらきっと人生はもっと面白い。

    「学ぼう」と思う意欲を持ちそれを持続し
    自分をより高めていこうとする絶え間なき貪欲な学習することへの姿勢。

    そんなことを考えながらTVに見入ってたら年賀状がいまだ出来上がってないテイタラクで
    しかも毎度このパターンで毎年毎年元旦に年賀状が送れない私は
    ドコをどう殴ったら学習することができるんでしょうか。あああ下絵すら出来てねぇ(;´Д`)

    Comments

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    たくろふ : URL

    #79D/WHSg Edit  2006.12.30 Sat 13:50

    手塚治虫の『ブラック・ジャック』という作品のなかの一話。
    主人公(外科医)の使うメスを研ぐ高齢の刀鍛冶が、遺言で主人公に遺した言葉

    「天地神明に逆らう事なかれ。
    おごるべからず。
    生き死はものの常なり。
    医の道はよそに有りと知るべし」

    最近、教育にも同じことが言えるんじゃないかと思う。

    hagiwaramao : URL

    #79D/WHSg Edit  2006.12.31 Sun 16:49

    ブラックジャックも足掻きもがき苦悩しつつメスをふるっておりましたわね。
    ドクター・キリコの歩む道もまた医の道。是か非か答えなぞ無い。

    どこをどう見据え貫くか。
    それが是か非かはまた別の話。
    まずは見据えることを教えていかねばと。
    そこからなにを見つけるかはそれぞれ。

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